2014インド・ネパール旅記録

//2014インド・ネパール旅記録

仏師の巡るインド・ネパール聖地の旅 2014 その4

DAY 4
2014年10月25日
チトワン自然国立公園へ。
バスそして象の背

朝、7時に出発し、バス停までラジェンドラさんに送ってもらう。バスはツーリスト向けのきれいなものだ。バスや宿泊、自然公園のサファリなど一式の料金は、ちょっとこの旅のなかでは贅沢かなという金額だったが、それでもラジェンドラさんの計らいで、古い知り合いのロッジのオーナーに頼んでくれて、おそらくずいぶん安くしてもらっている。象に乗って自然公園の中に入る予定だが、そうしたツアーもだいたいロッジの宿泊などとセットになっているようで、フリーで行ってすぐ自然公園の中に入るというわけにはいかないようなのだ。このへんは完全に、お金のあるツーリストしか来ないようなところなので、この際多少の出費はいたしかたない。
カトマンズを出発したバスは、次第に市街地を離れて、美しい棚田の見える地域をすぎ、うねるような峠道を通って5、6時間。ようやくチトワンのバス集合所についた。
われわれの泊まるロッジのオーナー、ナメスワルさんが迎えに来てくれていた。こっちの車だ、と乗りかえた車は、1tくらいのトラックだろうか。幌をはるフレームはあるが完全にオープンで、クッションのないベンチ椅子が荷台の部分についた、男気あふれる車だった。スペアタイアが荷台の真ん中に鎮座しているので、タイヤのくぼみに荷物を入れ、ダイレクトに伝わる地面の感触を楽しみながら、ガタゴトゆられてロッジに向かう。澄んだ自然の中の空。自然公園の手前の地域は田畑がひろがり、ロッジやホテルが点々としている。みやげもの街のようになっている通りもある。数分走って、トラックはわれわれの泊まる、タイガー レジデンシー リゾートについた。
門をくぐると、整った広い中庭。囲むようにレストランの棟や宿泊棟がならぶ。高級リゾートというわけではないが、なかなかの豪華さだ。さっそくレストラン棟の前のテラスで庭を眺めながらランチ。ハンバーグのような食事がでてきたが、これもベジタリアンメニューである。同行のヒロム氏はべつにベジタリアンではないが、わたしのとばっちりでベジタリアン食にされてしまっている。まあ、でもべつに不満はないよね?
3時過ぎにレクチャーがあると告げられる。自然公園なので、事前に注意事項の説明なんかがあるのかなと軽く考えていたが、
連れられて行った先は、象乗り場だった。あれ、象に乗るの明日だと思っていたのに…
といってもあとには引けない。幸いビデオカメラなど最低限の撮影機材は持っていたので、そのまま象の背に乗って、エレファントサファリ開始。レクチャーというのはもう、実践の自然レクチャーということだったのね?
われわれを乗せてくれたかしこい象さんは、14歳の女の子。小柄だがたくましい青いTシャツの象使いさんを首に乗せ、背に乗せた鞍に、わたしとヒロムDの2人をのせる。計3人乗りだ。搭乗するときは物見やぐらのような2m半ほどの高さの木製の発着場に乗客が先にのぼっておき、そこに象を横付けしてもらって鞍にのりうつるようになっている。
はじめての象だが、まあ、歩くのに合わせてゆれはするけど、歩調はゆるやかなので、慣れれば背の上でカメラを扱ったりするのも十分可能な程度だ。メールを打ったり読書するのはおすすめしない。
象使いは巧みに象をコントロールし、出発して数分先で、まず、数十メートルの幅の川をわたる。深いところでは人の胸元くらいまでの水位はありそうだが、象はシュノーケルのように鼻先だけ川面に出して、ゆうゆうと川をのりこえていく。
人が通るには苦労しそうな背の高い草原や木々の間。緑の織りなす空間を象はずいずい進んでいく。象使いがときおり、木の棒で動物のいる方向を指し示してくれる。はじめに見たのは、サンバ・ディアー。丸っこいかわいい耳のやや大型のシカが、木の下でこちらをうかがっていた。
さらにライノと呼ばれる野生のサイを4頭ほど立て続けに見ることができた。ブォーブォーという力強い息遣いが聞こえるような距離だ。
こちらが乗っているのも象なので、エンジン音を出す車ほどは警戒しないのだろう
動物たちのかなり近くまで寄って撮影することができた。
ヒロム氏はここまで簡単にライノに出会えるとは思っていなかったので大満足。さすがにトラには出会えなかったが、ライノをこんなに何頭も見ることができるのはそうそうあることではないらしい。
この旅はなかなか運に恵まれているようだ。
通常は1時間ほどのエレファントサファリだが、ラジェンドラさんに仲介していただいたのが功を奏し、サービスで長めに歩いてくれた。ふたたび象乗り場のやぐらに着いた時には日が落ちかけていた。チトワンの川の向こうに沈む夕日。シャッターチャンスである。
ほかの国からのツーリストも多く川岸を歩いていた。同じ国からの旅行者と思われてか中国の方にもあいさつされる。渡し船に列になって乗っているツーリストも見かける、お土産物や旅案内の小さな店も並んでいる。ちょっと高級な観光地なのだろう。

By | 11月 14th, 2014|2014インド・ネパール旅記録, BLOG|仏師の巡るインド・ネパール聖地の旅 2014 その4 はコメントを受け付けていません

仏師の巡るインド・ネパール聖地の旅 2014 その3

Day 3
2014年10月24日
パタンの王宮広場ふたたび

翌朝、ラジェンドラさんのお宅で朝食をごちそうになる。さっぱりした味のパンケーキ。これもまたおいしい。病院勤めのラジェンドラさんの奥さんを職場に送るついでに、ラジェンドラさんの自家用車、スズキのジープで昨日も寄ったパタンのダルバール広場まで送ってもらった。
ダルバール広場で、夕暮れでじっくりみられなかった、建物にぎっしりならぶ神像、仏像をゆっくりと見る。中には交接像、男女の神様が交わってる像もたくさんある。フランス人のツーリストグループにガイドがフランス語で説明している声が聞こえる。何を言ってるのかよくはわからないが、ガイドが交接像になぞらえて、おたくではどうですか、みたいな下ネタをふったのであろう。フランスのおばさま大ウケ。
ネパールの寺院を巡っていて、日本の信仰の姿とはちょっとちがう。どちらがいい、悪い、ではなく、ネパールのほうが人々の日常と信仰が密接で、敬虔、畏怖というよりカジュアル
な信仰スタイルのように思う。
ダルバール広場につぎつぎとパレードの列がおしよせていた。そろいのタスキや横断幕をかかげた、数十人の団体が。いくつも、いくつも。ある団体は仏像の載ったみこしをかつぎ、ある団体は楽器をうちならし、お祈りの言葉を口にしている。ムードは明るくなごやかで、敬虔な信徒の参詣、というより、阿波踊りナントカ連とか、サンバチームが対抗でパレードしてるようなにぎやかさである。おそらく、地域ごととかお寺ごととかのグループで衣装をそろえたりして新年詣での練り歩きをしているのだろう。
ダルバール広場を見下ろせるカフェをさがして、4階くらいのぼっただろうか。ルーフトップカフェのテラスでお茶を飲む。隣の席では数人のツーリストが英語でスマートフォンやカメラの話題などをしている。アメリカやヨーロッパの国か、違う国から来たツーリスト同士でたまたま同席しておしゃべりしているような様子だ。われわれはテラスからにぎわうダルバール広場を撮影したり、近くの建物の屋上で群れているサル(街中でもときおりサルは見かける)を撮影して隣の席のツーリストにも教えてあげたりしつつ、ちょっと一服。
こうしたルーフトップカフェは、わざわざ階段をのぼってきてからメニューを見るので、多少値段が高くてもお客に逃げられないんだろうなどと思った。日本のコーヒーチェーン店ほどではないが、ちょっとお高めの会計をすませて、もう少しパタンの地区を歩くことにした。
パタンにはカトマンズに増してお寺やお堂、仏塔、ヒンドゥーの神様の祠などが通りのあちこちにある。日本でいえば古都、京都、といった感じだろうか。
ダルバール広場のそばのきらびやかな彩色の大仏を拝し。
しばらく歩いてマハーボディー寺院に向かう。徒歩5分程とあったがなかなかつかない。ちょっと路地を奥まったところにあって通り過ぎていたのだ。ちょっと路地裏にはいると、観光客も少なく、地元の人たちが売店の前でお茶を飲んでいるような、のんびりした風景である。ちょっとわかりにくいところに、マハーボディー寺院の入り口があった。回廊状になっていて、大きいものは人の背丈ほどもあるような、やや大きな仏像や彫刻の並ぶ本堂の区画と、町の建物のひしめくなかにいきなり30mの仏塔の立っている区画とにわかれている。仏塔は、インドのブッダガヤに参詣した職人が親子3代にわたって作ったという、細かい彫刻や多数の仏像で壁面を覆われた、それはそれは手のかかった塔である。クラクラしそうだ。
またパタンの街を歩いて、王宮跡も入り口までは行ったが、入場料が高く、すでに大量の寺院や彫刻を見て目もアタマも飽和状態だったのでパス。

驚愕!中野ブロードウェイはネパールにも存在した!

ネパールに来てはじめて、デパートのようなところに入ってみた。間口の狭いちいさな商店の商店街をぬけ、建物に入る。全体はそれほどの大きさではなく、やや大きなショッピングセンターといった規模だが、入り口付近は吹き抜けのホールになっていて、床の一部が囲われて、新年を祝う花の床絵が描かれていた。
これまたネパールに来てはじめて見るエスカレーターで階上にのぼる。この感じ、空気感。どこかで見たことがある。そうだ、中野ブロードウェイだ!
東京の中野駅の北側に、サンモールというアーケード街があり、その突き当りに昭和の香りをのこした古い複合商業ビル、中野ブロードウェイがある。建物の感じといい、中に入っている商店の感じといい、いちどブロードウェイだと思うと、もうそのようにしか見えない。ときどき私も立ち寄るブロードウェイの中古映像音響機器取扱店、フジヤAVICのかわりに、ロック解除しますという看板を掲げたあやしい携帯電話屋さんが立っていた。残念ながら、有名なマニアな古書店まんだらけに相当するお店はネパールにはなかった。

新年のお祝いムードのパタンの市街をちいさな仏塔にお参りしたりしながら、カトマンズの中心街へもどった。この日は夜中まで、町のざわめきが部屋にひびいてきた。聞いたところによると、インドではディワリの夜は花火や賑わいで夜も眠れないほどだという。それにくらべれば、ネパールのディワリの夜のざわめきは遠くに響きここちよい程度だった。

さて明日からはヒロムDにとっても未知の領域だ。

By | 11月 12th, 2014|2014インド・ネパール旅記録, BLOG|仏師の巡るインド・ネパール聖地の旅 2014 その3 はコメントを受け付けていません

仏師の巡るインド・ネパール聖地の旅 2014 その2

Day 2
2014年10月23日
カトマンズ 目玉のお寺をめぐる

カトマンズの朝。5時6時になると、もう外で街の人々が動き出している気配が感じられる。自分たちが滞在している3階の窓から見下ろすとすでに自転車や徒歩、バイクで仕事に出かける人々が細い通りを通っていく。鮮やかな赤いサリー姿の女性の姿も見られる。
地元の人たちの朝は早い。
早朝のうちに少しだけ彫刻の時間をとって、持ってきていた彫刻刀で小さな作品を彫りはじめた。7cmほどのヒノキの小片に彫る誕生仏のレリーフ。お釈迦様の生誕地、ルンビニの地をもうすぐたずねると思うと感慨ひとしおである。
ディレクターのヒロムさんが起きてきたところで、朝のうちにスワヤンプナート寺院に行くことにした。ヒロムDは以前、ロケでカトマンズに滞在した際、スワヤンプナート寺院まで歩いていったことがあるという。
「適当に歩いてますよ」 のちほど、歩き出した方向が本当に適当だったことが判明する。
はじめて歩くネパール、見るものすべてが新鮮なので、遠回りだろうが道に迷おうがまあ、いいでしょう。

カトマンズを歩いて、路上の第一印象
・犬が多い。 野良犬たくさんしかもけっこう立派な体格。犬が苦手な人は大変。
・路上はきたない ごみがちらかってたり、舗装もあったりなかったりがたがただったり
・商店はたくさん カトマンズの中心街はずらっと小さな商店がたちならんでいる。観光地なのでおみやげもの屋さんもたくさん。
・交通ルールは自由 車線が区分けされていない中を犬がとおり、バイクが通り、車が通り、人が通る。牛も横切る。車間距離やすれ違いはすれすれ。信号はほぼない。ただ、道が混んでてたいして車やバイクのスピードは出てないので、慣れれば広い道でも車をぬって横断できる。
・にぎやか 朝から町中の道は人々の声やクラクションであふれている。ネパールでもインドでも、ホーン(クラクション)は緊急時に鳴らすものではなく、すれ違うとき、抜かすとき、人にどいてもらうとき、いつでもしょっちゅう鳴らす標準機能だ。

スワヤンプナート寺院をめざして日本人の旅人2人はずいずい歩いていた。
私のほうはまだ慣れぬ旅にとびこんだばかりで、道できょろきょろしていたら、どんな物売りやらタクシーの客引きやらに声をかけられるかわからないと過剰に身構えているので、道も調べたりする余裕もなく、立ち止まらず歩く。
ヒロム氏のほうは、カトマンズの街は慣れたもののはずだが…なんだかちょっと向きがあやしいらしい。寺院に行くときに越えるはずの川がなかなかあらわれないのだ。もう出発して20分ほど歩いているだろうか。
方向を修正したり、遠くの山にようやく寺院とおぼしき姿をみつけたりしながら、生活感あふれる川のそばの路地をぬけ、橋をわたり、出発から40分ほど経っただろうか、遠回りしてしまったがようやくたどりついた。参拝や朝市の人々でにぎわう、スワヤンプナート寺院の参道だ。
タクシーが何台も列をつくり、朝市では鮮やかな花飾り、野菜果物などが路上にひろげられている。お供え用の火のついたロウソクの屋台もいくつもでている。

スワヤンプナート寺院、別名モンキーテンプル。ネパール仏教の寺院である。マハ・チャイテャと呼ばれる、ブッダの目が描かれた仏塔が目印。もうひとつ、カトマンズで有名な目玉のお寺、ボダナート寺院と並んで、もっとも神聖とされるお寺である。
こちらの寺院の特徴はその立地である。小高い丘の上に立つ絶好のロケーション、、400段ほどの急な石段の上にあるのだ。

多くの観光客でにぎわうなか、山門をくぐる。ささげもののお花や灯明を売る人々、子どもを抱いて物乞いをする女性。石段を上っていくと、さっそくちいさな仏塔の上に猿が親子で毛づくろいをしあっていたりする。モンキーテンプルの所以だ。さわやかな空気、ひとびとの信仰の息づかいなどに感動をおぼえながらも、だんだん石段がこたえてくる。「部活か!」「運動部か!」 と心の中でつぶやきつつ、ぐいぐい上っていく。その気になれば踊り場のようなところにベンチもあって休憩できるようになってはいるのだが、とくに、頂上の直前の石段はなかなかの急角度である。後ろの歩いているおじさんの息のあがりかたが尋常ではない。石段をのぼりきり、左手の小さな小屋で入山料を支払う。頂上広場に出ると目の前に大きな五鈷杵(ごこしょ)と仏塔。仏塔の周りにはマニ車がずらっとならんでいる。マニ車というのはお経の書かれた金属製の筒で、これを回すことでお経を読むのと同じ功徳があるというものだ。マニ車をまわしながら、仏塔を右回りにまわってお参りする。
頂上広場の片隅に一辺5mほどの小さなお堂があるが、そこには参拝の列が並んでいる。あとでわかったが、こちらはハリティ(鬼子母神)をおまつりするお堂で、並んでお参りしたものの、残念ながら花や仏飯などささげ物をする方がとぎれず、鬼子母神の像を見ることはできなかった。
頂上広場は大きな仏塔の周囲に建物が建っていて、仏像がおまつりされていたり、お土産物屋さんやレストランなどもある。そのなかの一軒、ルーフトップカフェ(屋上カフェ)に入って朝食をとることにした。
非常階段のようなやわそうな金属製の階段をのぼる。テラス席と屋内席があったが、もう日差しが暑いくらいになっていたので、とりあえず屋内におちつく。上のほうの階は客はわれわれだけだった。チャイやトースト、ペットボトルの水なんかを注文する。ちょっとお高めだが、観光地価格、山の上価格だ。いたしかたない。
カフェからはカトマンズ市内が一望でき、遠くヒマラヤの雪山まで眺望できる。ブラックカイト(とんび)がとびはじめている。早朝ではなく、上昇気流をつかまえられる9時10時の時間帯からとびはじめるのだと、ヒロムDが教えてくれた。
このカフェの眺めに味をしめて、この旅ではちょいちょい、ルーフトップカフェを利用することになる。
参拝を終えて、タクシーでカトマンズ中心部のタメルにもどる。

ここで、ネパールの電話会社、NCELLのお店でインターネット接続や通話をするためのプリペイドSIMを入手。パスポート+写真、データ通信1GB+通話300RS分、SIM代金とあわせて1800RSほど。店員さんにおまかせでチャージ操作までしてもらって30分ほどで持って行ったSIMフリー携帯が使えるようになった。

ラジェンドラさん宅にランチに招かれる新年休暇のためかラジェンドラさんのご兄弟もいらっしゃってにぎやかな昼食。ダルスープとライス、野菜のカレーなど定番と言えるネパールの家庭料理。おかわりまでして、たいへんおいしくいただいた。

午後からはボダナート寺院へ。こちらは平地の街中にある寺院だが、門をくぐると広々とした空間がひろがっていた。
おおきな仏塔にかかる五色の旗、タルチョーが幾重にもはためいている。
仏塔の周りは建物に囲まれていて、お土産店やレストラン、ヨガスタジオ、ホテルなどが立ち並んでいる。観光客も参拝客もおおぜいいるが、街中のような騒々しさではなく、さわやかな空気が流れている。
こちらの寺院でも近くのルーフトップカフェでチャイをのむ。
まだ時間が早い。もう一か所くらいどこかに寄れそうだ。

カトマンズの街は旧暦の新年のお祝い「ディワリ」の準備で、あちこちで地面に砂絵や花絵が描かれたり、商店街に旗がつるされたり、街のあちこちにある仏塔や祠に花飾りがささげられ、街も人手が多いようだった。

夕方近くになってパタンという地区のダルバール広場に着いた。パタンはネパールの古都で、カトマンズ市内ではなく川をはさんで南側、ラリトプル市にある。歴史ある王宮や寺院が多く残されている地区である。
広場でタクシーを降りたところで、さっそくパタンの観光入場料を徴収され、首にかけるパスをもらう。海外観光客は500RSなり。なかなかのお値段だ。以前ヒロムDが来たときは入場料を取られた覚えがないとのことなので、文化財保護などのために外国人観光客からはいただけるものはいただいておこうという方針になったのだろうか。

タメルまで歩いて帰れるかと思ったが意外と距離があったため、途中でタクシーをひろってラジェンドラさん宅にもどる。500rs たいした距離じゃないのに取られるなと思いながらも、待ち合わせの時間が迫っていたし、ディワリの前夜で街も準備でにぎわう中だったので、大みそか価格かと思い自分たちを納得させる。
タメルのイタリアンレストランFIRE & ICEでラジェンドラさんとタケシさんと夕食。
せっかくなので地元の料理を、とも思ったが、ラジェンドラさんいわく、ネパールの料理はうちで食べるものだ、と。たしかに、この日はラジェンドラさん宅で心のこもった家庭料理のランチをいただいていたので、納得である。このレストランはしゃれたレストランで、ヨーロッパからと思われるファミリーなど、旅行者も多く来て、入り口で席が順番待ちになるほどにぎわっていた。パスタやピザなどをいただく。
夕食の際にこれからの旅の予定表を見てもらい、アドバイスをもらう。しかし、、ほかの人に見てもらうと相当無計画というか、行き当たりばったりの行程表である。
明日のディワリの日はカトマンズですごすことにして、次の目的地、チトワン国立自然公園へはその翌日の朝向かうことにした。チトワンまでのバスの手配、チトワンの宿さらにその先のルンビニまでのバスをラジェンドラさんが手配してくれたので、われわれはおんぶにだっこ。

新年を迎えるべく電飾や旗やランタンで彩られ、夜もまだ活気づいている町を歩いて、レストランから部屋まで戻った。

By | 11月 10th, 2014|2014インド・ネパール旅記録, BLOG|仏師の巡るインド・ネパール聖地の旅 2014 その2 はコメントを受け付けていません

仏師の巡るインド・ネパール聖地の旅 2014 その1

Day 0
2014年10月21日
名古屋を出て東京へ

インド・ネパールの聖地を巡る聖地の旅、に出る前に、名古屋から東京に向かう高速バスで、渋滞につかまっていた。
通常なら6時間ほどのルートだが、高速道路のリフレッシュ工事で愛知県をなかなか抜け出せない。

「よう、インド行かねえ?」と、友人のヒロムさんからメッセージが入ったのはこの旅の2週間ほど前の夜だった。
「いいっすね」と返事を返したものの、インドに行くというのが本気なのか、冗談なのかまだ確証がなかった。だいたいこの人は、東京に住んでいるのに、今からラーメン行きましょうかとかふざけたメッセージをしばしば送ってくるのだ。
しかし、メッセージをやりとりを続けていると、どうやら今回は本気らしい。
仕事の区切りがついて時間ができたので、プライベートでどこか旅行に行こうと思い、私が以前からインドに行きたいと言っていたのを覚えていて声をかけてくれたのだ。
「一人でもいいけど、宿とかシェアできたほうがいいと思って」
私は以前から、インドに行きたいとは思っていたが、なかなか一人で行くのは自信がないし、パック旅行はお手軽だけど高いし自由が利かないし…と気持ちがくすぶっていたところだったので、このチャンスをのがしてはまたいつ行けるかわからない。誘いには乗るべし、と、その夜のうちに決意した。

ヒロム氏は、主に自然や動物をあつかったTV番組の制作をしているフリーのディレクターなので、ヒマラヤの山々の空撮に行ったり鳥や動物を撮るためにロケに行ったりと、ハードな海外旅行には慣れている、はずである。
個人で旅行するのと仕事で海外に行くのとは多少事情が違うだろうが、私の海外経験といえば、過去に韓国に2回、アメリカに1回の計3回、それも仕事でほかのみなさんと一緒に行ったことしかないのでよほど頼りになる。せいぜい足手まといにならないようにしなければ。

そして、その日から済ませるべき仕事をどうにか片付けにかかったり、インドのビザを申請したり安い航空券をしらべたり、ざっくりとした旅程を計画したり、あわただしく歯車は動き出した。

出発前に決めていたのはこんなところ。
・飛行機でネパールに行って、陸路インドに入り、インドを巡ってまた陸路ネパールへ戻り、帰国。
・仏教四大聖地である、ルンビニ・ブッダガヤ・サールナート・クシナガラに行く。このうちルンビニはネパール領内で、あとはインド。それぞれ釈迦が生まれた地(ルンビニ)、悟りを開いた地(ブッダガヤ)、はじめて教えを説いた地(サールナート)、入滅した地(クシナガラ)である。
・チトワン国立自然公園(ネパール内)に行く
・ダージリンからヒマラヤのカンチェンジュンガをながめる
以上。

はじめは1週間から10日のつもりだったが、計画するうちに日にちが足りないということで16日間の予定になった。往復の移動があるので、実質2週間ほどの旅となる。
また、せっかくなので、仏師の巡る聖地の旅の映像を記録しよう、ということになった。

そして、そのヒロムさんと合流するために、出国の前日、東京に向かっているわけだが、このバスがなかなか進んでくれない。事前によく調べていれば、新東名高速のルートのバスにするなり、電車にするなり(節約のため、新幹線という選択肢はない)できたはずなのだが…まあこれも、これからのハードな移動の予行演習だと思い、気楽に構えることにした。
幸い、バスの2階席の先頭で、席に電源もついてるし居心地も悪くない。富士のあたりで急に暗雲がたちこめ、まだ17時前なのに外が夜のような暗さになり、旅立ちにあたってなんとも不穏な天候たが、、気にすまい。

結局2時間以上遅れて、夜8時半ごろ、バスは東京に着いた。
新宿の居酒屋で東京の友人たちに別れの夕食会をひらいてもらい、東京で食事すると高いなあ、とひそかに財布にダメージをうけつつ解散。
ヒロムさんちで行き先の地図を確認したり、パッキングをしたりするうちに、ほとんど睡眠時間もなく成田への出発時間が迫っていた。


DAY1
2014年10月22日
出国~カトマンズ到着

成田10時台発の便なので、都内からだとけっこう早くに出発しなければならない。成田、遠いよ。
雨のそぼ降る中、セブンイレブンで訪れる予定の街の地図を何枚かプリントアウトし、東京駅八重洲口で成田空港行きのバスのバス停をさがす。雨が本降りになってくる中、ようやくバス停を見つけて乗車。
1000円也で東京駅から成田まで連れて行ってくれる。
ネパールのカトマンズまでは直行便がないので、中国やマレーシアなどで乗り継ぐのである。 われわれの乗るのはマレーシア航空クアラルンプール行き。マレーシア航空のカウンターにはチェックインを待つ長蛇の列ができていたので、ひとりが待つ間にひとりが両替にいったり、予約しておいたインドで使うWi-fiインターネット端末を受け取りに行ったりなど用事をすませる。
早めに来ておいてよかった。
あと、今回の反省を踏まえて。旅先で使うお金をちょっと多めに米ドルに両替して持っておくのがおススメ。インドやネパールでは日本円が町中で両替できないところが多くて、ヒロムさんの持っていた米ドルに助けられたことが何度もあったので。

飛行機搭乗。しばしさよなら日本。
機内食はベジタリアン食をリクエストしていなかったのだけど、予備があったのか事情を言ったら出してもらえた。搭乗24時間前までに航空会社に連絡しておかなければいけなかったらしい。
クアラルンプールのきれいな空港でのりつぎ。
3時間ほどなのでカフェですごして、早めに搭乗ゲートに行ったくらいで時間をもてあますこともなかった。クアラルンプールは空港内に無料で使えるWi-fiインターネット回線が整備されていた。お店の中とかだと電波が届かないところもあるけど。

そして、このころ、われわれは一抹の、結構シビアな不安をかかえていた。
ネパール初日は、ヒロムさんの友人の鳥類学者、ラジェンドラさんのお宅でゲストルームに泊めていただく予定だったのだが、前もって連絡したときに到着予定を1日間違えて伝えてしまっていたのだ。
出発前に訂正のメールを送ったのだがはたしてそれがちゃんと伝わっているのか…まだ、明日の到着だと思われているかもしれない。
われわれに今夜休む部屋はあるのか?
先方の用意ができていなかったり、連絡が取れなかった場合、カトマンズ着は夜遅くの予定なので、着いてからタクシーをつかまえ、あてなく宿をさがすというのもなかなかしょっぱなからスリリングである。最悪はいきなり空港で夜明かしか?

不安をかかえたまま、クアラルンプール発カトマンズ行きの飛行機に乗り込む。こんどはここまでのってきた大型旅客機ではなく、200人ほど定員であろうか、ぐっと小さい中型機。
残念ながらこちらの便はベジタリアン食は品切れ。はい。ごめんなさい。つぎはちゃんとあらかじめリクエストいれるようにします。
4時間ほどのフライトののち、飛行機はネパールの トリブバン国際空港に降り立った。(トリブバンというのはカトマンズ中心部から少し離れた国際空港の名前。東京にたいして成田、みたいな感じ。)
空港に着いた印象は、暗い。照明が少ない。飛行機の搭乗口から空港の建物内に入るブリッジはなく、飛行機からタラップを降りて、バスでターミナルに移動するようになっている。こぢんまりして、空港というより大きな鉄道の駅のような感じ。
ネパールでは空港でアライバル(入国時)ビザを申請する。再びネパールから出国するまでの15日間、マルチプル(複数回出入り可能)で申請。万一出国が延びても追加料金を払うだけでいいらしい。ビザ申請用の写真を用意していなかったし、写真を撮ってもらうブースも閉まっていたが、カウンターの係員に尋ねたところ、書類申請ではなく、キオスク端末(自分で操作するタッチパネルのパソコン)でビザ申請すれば写真はいらないという。
キオスク端末に情報を入力する。ネパールでの滞在先などの入力項目もあったが、「まだわからんよ、、」などと思いつつ、カトマンズ、ラジェンドラ氏宅、などと適当に記入。写真を貼り付けるかわりに、キオスク端末に接続されているロジクールのWEBカメラ(私ももってる1000円くらいで買えるやつだ!)を自分に向けて撮影する。いかにもイージーだ。こんなんでいいのかなと思い再びカウンターに行く。
ネパールのいわゆる茶人帽みたいなのをかぶった係員が書類のチェックをする。緊張して待つこと数分、無事通してもらえた。ビザの代金は25ドルだったか。
ビザ手続きをしたのが空港の建物の2階。そこから1階に下って預け荷物を引き取りに。ビザ申請のところでさっそくヒロムさんとはぐれていたが、荷物がまだ出てこなかったようで、ここで追いつくことができた。しばし待ってようやくコンベアーをながれてきた荷物をピックアップ。
このまま出られるのかと思ったら、出口で係員に荷物のタグと、航空券と一緒に渡された荷物預け証を照合チェックされる。しっかりしてるのね。
これでようやくネパール入国!
しかしこの時点でまだ、泊めていただく予定の鳥類学者ラジェンドラさんからとは連絡とれず。ああ、夜のトリブバン。

空港の建物を出ると、ずらっとお迎えを待つ人々、客引きのタクシー、暗い中何十人という人々がひしめいている。
まだなれぬ自分には少し怖いような景色だ。「タクシーのらないか」「どこにいくんだ?」あちこちから声をかけられる。
とりあえず空港の待合室に入っておちつくことにする。

ヒロムさんが以前ネパールで取材の仕事をしたときに現地コーディネーターをつとめた、ネパール在住日本人のタケシさんにも連絡して、ラジェンドラさんに連絡してもらった、直接電話したりでどうにかラジェンドラさんと連絡がつき、とりあえずタクシーでカトマンズの中心地、タメルに向かう。
夜走るカトマンズ。でこぼこした道、路上にはたくさんの野良犬。もう日本とはちがう世界である。ディワリという新年を迎えるお祭りが近いので、建物は電飾が下げられていたり、花飾りや旗かざりなどもあちこちに見られた。
数十分後、タクシーを降りたタメルの路上で再び電話連絡。ラジェンドラさんの息子さんが迎えに来てくれることになった。場所はタメルのなかの、チャトラパティという地区。少しの距離だが再びタクシー。
10分ほどでチャトラパティ着。もういいかげんに夜遅くなのに、ラジェンドラさんの息子さんが笑顔で出迎えてくれた。数分歩いたところにあるお宅に案内される。ゲストルームと伺っていたので、家の中の一部屋かと思っていたが、別棟のアパートのような建物の一室に案内された。
リビングダイニングとベッドルームがある、われわれにはもったいないような部屋。結局全行程通じて一番贅沢な宿泊場所はこのお部屋だった。

もう夜遅いのでこの日はおやすみなさい。

By | 11月 9th, 2014|2014インド・ネパール旅記録, BLOG|仏師の巡るインド・ネパール聖地の旅 2014 その1 はコメントを受け付けていません
Load More Posts